ブラックスワン


 またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語(アントニム)の当てっこでした。黒のアント(対義語(アントニム)の略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
太宰治 人間失格より」

ラサール石井さん暴言で炎上! - Togetter
なんだか清廉潔白な白鳥が妖艶耽美な黒鳥を演じるには、恋愛経験を積むことが大事とされている映画だけど、私は違った解釈をしたい。これは白が黒く染まる映画ではなく、黒よりも闇に近い赤を目指し、赤に染まる映画だと思う。


浅田真央キム・ヨナ北島マヤ姫川亜弓に例えられることは多い。
http://tawakedoumei-suzuki.blogspot.com/2010/03/blog-post.html

北島と姫川の二人の違いを表すのに、こんなエピソードがある。
ヘレン・ケラー役のオーディションの最終選考に残った金谷英美、姫川亜弓北島マヤの三人は「ヘレン・ケラーとして待つように」と言われて待合室に待たされる。
1時間、2時間…
時間だけが過ぎてゆくなか突如、火災報知器が鳴り響く、
思わず音に反応してしまった金谷は数秒後、微動だにしない北島と姫川の姿を見て己の失敗に気がついた。そう、これも試験の一つだったのだ。
試験後にどうして火災報知器の音に反応しなかったのか聞かれて、姫川と北島はこう答えた。
姫川亜弓ヘレン・ケラーとして待つように言われたので無視しました」
北島マヤ「火災報知機の音も何も聞こえませんでした」

思うがまま、感じるまま、振る舞いそのものが感情を表し演技となる北島マヤ、一方、あくまでも女優として演技をすることにこだわりを持ち、完璧なな演技を目指す姫川亜弓
ブラックスワンのレビューを見ると、姫川亜弓が自分を解放することで北島マヤに近づく映画といった捉えられ方をしているが、姫川亜弓ファンの私としては違う解釈をとる。
この映画は、姫川亜弓が己の道を貫き、完璧な演技によって遂にはマヤを越える物語だと思う。

ブラックスワンにおいて、姫川亜弓をニナとするならば、対照的なリリーは北島マヤに当たるのだろうか。マヤは乱交などしないが、狼少女になりきるために山篭りで演技の武者修行をする等の実践派の女優である。不純異性交遊を繰り返して、ラサール石井の妄想のごとく演技力に磨きがかかるニナは、アウトローという点において北島マヤに似ているのかもしれない。
しかし、これではラストシーン手前の、楽屋でニナが幻影のリリーを刺し殺し、覚醒することで完璧な黒鳥を舞うシーンの説明がつかない。
ニナが性的に抑圧されていた自分を刺し殺すことで、黒鳥への変身を遂げるなら、「白=抑圧の象徴」である母親が楽屋に現れるはずだ。
己の完璧さを求める演技を殺すことで、自由奔放な欲望のままに舞う黒鳥、ニナがそんなものを舞っていたら、感極まった現実のリリーがわざわざ褒めに来ることもない、それこそ楽屋の幻影のリリーに役を奪われてしまったも同然である。
ニナはリリーをはるかに超える恐ろしい黒鳥を舞った、この前提にたつと、楽屋でニナがリリーを刺し殺すシーンは、ニナが自分自身の感じるがまま思うがま黒鳥を舞うという意志を殺すシーンとも取れる。
それでは、ニナが目指し実際に舞うことが叶った黒鳥とはどんなものであったか
完璧な黒、すなわち赤、先代のベスの演技であった。

劇中でのベスの扱いはあまり恵まれたものでは無い。誰も見向きをしない過去の人扱いである。そんななかでもニナが唯一心の頼りにしているのがベスの存在だった。
化粧をして振付師と直談判しに行ったのは誘惑するためではない、ベスから盗んだ口紅を使うことでベスに成り切ろうとしたためだ。
振付師がリリーの黒鳥を褒め、彼女のように悩ましく艶やかに踊れと指示しても、ニナの表情はどこか上の空である。
ニナはリリーの奔放さに憧れるし、彼女と一夜を共にする妄想すら見るが、それでも彼女のバレエはニナの理想とするものではない。
リリーの背中に刻まれた、黒い翼の入れ墨が象徴的である。入れ墨が後から人為的に彫られた黒である。一方ニナは体内から黒い羽毛が生えてきて(無論妄想だが)、完璧な演技をする。
入れ墨の黒い翼と体内から生える黒い翼、どちらがより美しいかは明白だ。
羽毛が最初に生えて来る箇所が、性的抑圧の象徴である赤いジンマシンからであることも興味深い。そして、ニナが最後に本当に赤に染まることで映画は終わりを告げる。ニナを赤く染めた血液はやがて黒く凝固し、彼女を闇よりも暗く染め上げるだろう。
私はこれをハッピーエンドと考える。

赤こそが、完璧な演技こそが、思いのまま欲望を踊るよりも管理され抑制された欲望の方が、より妖艶で美しい。舞台に必要なものは人生経験ではなく演技であり、内面など不要。
内面を持たないモノが、どうすれば世界に一撃できるか非常に参考になる話だった。

蛇足だが私の解釈から冒頭のラサール石井に戻るなら、浅田真央は恋愛などする暇があれば影腹するくらいの気合いと根性で完璧な演技を目指して練習しなければならないのだろう。